大判例

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高松高等裁判所 昭和63年(ネ)28号 判決

控訴人 愛媛冷暖房株式会社

右代表者代表取締役 青野晃治

右訴訟代理人弁護士 草薙順一

薦田伸夫

被控訴人 菩提建設株式会社

右代表者代表取締役 藤岡健三

右訴訟代理人弁護士 南健夫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一申立て

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人に対し、金二四〇万円及びこれに対する昭和六一年一〇月一二日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4  仮執行の宣言

二  被控訴人

主文と同じ

第二主張

次のとおり訂正及び補足するほか、原判決の事実摘示と同じであるからそれを引用する。

1  原判決二枚目表二行目及び三行目に「施行」とあるのを、それぞれ「施工」と改め、三枚目表末行の冒頭から「事実」までを「本件特約が行われたこと」と改め、同枚目裏四行目の次に、左のとおり加える。

「本件特約が公序良俗違反であることの事由は次のとおりである。

第一に、入院患者の紹介斡旋が金銭的対価と結合した場合には、常軌を逸し反倫理性を帯びる。乱診乱療を導くことは、明白である。本件においては被控訴人代表者は大橋病院の理事長である。従って、実質は被控訴人との間の契約は大橋病院との間の契約である。病院としては入院一人当り金三〇万円以上の利益を上げる必要があり過剰診療を導くこととなる。

第二に、本件特約が有効であるとすると、患者を斡旋した者に対し、医者が報酬として対価を支払うことを法律上認める結果となり、医療費の適正化の面から許しがたい事態となる。

第三に、医療は人間自体を対象とするものであり、物品の斡旋紹介とは異なる。医療行為について金銭的対価として紹介料、斡旋料が支払われると、反倫理的となる。

第四に、本件特約は損害賠償の予定であり、債務不履行の場合はその予定額を賠償するという趣旨である。工事代金の支払留保といってもその実質は損害賠償金である。かような特約は賠償制度にもとるといわなければならない。」

2  原判決三枚目裏六行目の次に、左のとおり加える。

「本件特約上の債務は自然債務でないし、この特約は公序良俗違反ないし信義則に違反するものでない。すなわち

(一)  被控訴人代表者藤岡健三は、病院の新設開院を計画し、昭和五九年初め頃この新設する病院の名を大橋病院とし、松山市大橋町二七八番地一所在の土地上に鉄筋コンクリート造四階建の建物(病院)を自ら建築した。

従って、本件請負契約は、この病院の実質上の経営者である被控訴人を注文者、控訴人を請負者として契約したものである。

右に述べたとおり大橋病院は新設開院であり、開院に当って被控訴人代表者は病院経営の安定に気を配り、可能な限り経費の節約と患者の確保を願い、本件請負契約を締結するに当っても、極力建設費の無駄を省き、患者の確保に気を配っていた。

(二)  この冷暖房等設備の請負を希望する業者としては、控訴人の外東洋プラント社外数社がこの工事の請負を願い出ていた。そこで初控訴人代表者は、これらの業者に対し、患者を確保する見地から入院を必要とするような患者の紹介をしてくれる人を請負業者選定の条件にすることを申し出たところ、ほとんどの業者はこの条件を異議なく承認し、中でも控訴人が一番熱心に患者の紹介を申し出ると共に、請負代金についても他の業者に比べ低額の工事代金を申し出たため、この業者として控訴人会社を選択したものである。

(三)  従って、本件請負契約は、

イ 控訴人が、他の業者をおさえ積極的に患者の紹介を申し出たため、被控訴人がこの言を信じて締結したものである。

ロ 入院患者を紹介するという意味は、真に入院治療を必要としている患者を紹介するということであって、故意に入院も治療も必要としないものを無理矢理入院させるということではない。

仮りに入院、治療を必要としない患者の紹介があったとしても、大橋病院には医療の良識において、これを断固拒否する医師が勤務しておるので、乱診乱療等が起こる筈はない。

ハ 患者の紹介は、あくまでも病院に対する紹介であり、その履行は法的にも事実的にも不可能ということはできない。

ニ 控訴人に本件紹介義務を課したとしても、前記経過に照らせば何ら公序良俗に反することはなく、且つ信義誠実の原則に違反するものではない。

控訴人において当初かかる主張をすべき性質の特約であるという認識があったのであれば、本件契約の締結をなぜ拒まなかったのか、理解し難い。」

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1ないし3及び同4のうち被控訴人が本件特約上の入院患者の紹介が行われないことを理由に本件請負代金のうち二四〇万円の支払を拒否していることは当事者間に争いがない。

二  抗弁及び再抗弁について検討する。

1  本件特約が行われたことについては当事者間に争いがない。

2  《証拠省略》を総合すると、本件特約が行われるまでの経緯等として、次の事実が認められる。

(一)  被控訴人は、その代表者(藤岡健三)の個人企業であるところ、その代表者が大橋病院という医療施設を開設することになったことから、昭和五九年初めころ、その病院の建物(鉄筋コンクリート造四階建延面積約三六七四平方メートル)の建築工事を始めた。そして、本件請負契約の対象工事は、被控訴人の右建築に伴なう附帯工事の一部である。

(二)  本件請負契約の成立前の約二〇日間、本件当事者の各代表者間で、交渉が重ねられ、当初の工事設計を前提とする見積金額から、数次の設計変更を経て、請負代金額が定められた。そして、被控訴人代表者は、その代表者印を押した本件請負契約の契約書(見積書と題する書面)を控訴人代表者に渡して、その調印を求めた際、本件特約の金員は、大橋病院への入院患者を紹介するという控訴人の債務を担保するとともに、本件請負代金のうち、右特約金相当額については、請負工事の引渡時には、その支払を留保し、入院患者紹介が行われたときに支払うものであることを約束したい旨を申入れた。被控訴人において、入院患者の紹介報酬額を三〇万円とすることを申入れたのは、医業実務上の採算ベースなどを参考としたものでなく、専ら、開業にあたり入院患者を獲得したい願望を強調するためであった。この申入れに対して、控訴人代表者は、その実兄が眼科医師を生業としており医療従事者の職業倫理についても一定の理解を有していたから、「よう患者を紹介しない」旨を述べたものの、そのまま右申入れを受諾して、本件特約についても合意したうえ、前記契約書に調印した。右契約書面を受領してから控訴人の調印を終えて返送するまでに、およそ一週間を要している。

(三)  控訴人において、本件特約の患者紹介を行わず、請負代金のうち、紹介料と同額の二四〇万円を受領できないことになっても、本件請負契約の工事履行による純利益として、一〇〇万円程度が得られることとなる。

(四)  被控訴人は、大橋病院の建築に伴ない、控訴人のほか、一〇社程の業者にその下請工事を注文して、それらの者との間でも、本件特約と同旨の合意を行った。

大橋病院建築の下請業者が被控訴人に紹介を約束した入院患者数としては、控訴人の分(患者数八人)が最も多く、その他の業者の分は、いずれも二人以下である。

以上のとおり認められる。原審における控訴人代表者の尋問結果中、本件請負契約の締結にあたり、被控訴人代表者が控訴人代表者に対し、本気で本件特約の合意を求めたものでない旨を供述しているところは容易に措信し難く、他にこの認定を動かすべき証拠はない。

3  本件特約上の債務がいわゆる自然債務であることを認めるに足る証拠はない。

4  一般に、医療施設の開設者や経営者が、その診療する患者の紹介を委託するときに、社会的儀礼の限度を超える報酬を約束することは、診療内容の優劣以外の経済的利益を提供することにより、患者を獲得する意図に基づくことが推認され、このような約束が無制限に認容されると、診療内容に応じて受診施設を選択できるという患者側の自由や利益が阻害される危険があるし、ひいては、過剰診療ないし乱診乱療の防止という医療制度の適正な運営が阻害されることとなると考えられる。したがって患者紹介の委任契約がその内容・規模・成約の実情に徴して、社会公共の右利益を阻害すると認められるときは、公序良俗違反として許されないというべきであるが、そうでない限り、医療倫理の見地から、大方の賛同がなく、むしろ好ましいことでないとしても、契約の効力に消長を及ぼさないと解される。

これを本件に即してみると、患者一人の紹介報酬額が三〇万円というのは、社会的儀礼の範囲を超えるものではあっても、被控訴人がその報酬で紹介を受けることを約束した患者数の合計は、控訴人の分も含めて、多くとも二六人に達しないのであり、この程度の患者数からすると、直ちに前記公益が阻害されると推断することは困難である。また被控訴人が本件特約を行った目的ないし意図につき、事前に控訴人から患者を紹介できないことの告知を受けながら、その翻意を求めることなく本件特約を行った経過に徴して、被控訴人としては、控訴人の右告知のとおり、患者の紹介が行われないとしても、その場合には、本件請負代金額の面で患者紹介料と同額の二四〇万円分が事実上値下げされたことになる点に着目して、病院開設費用の節減という利益が得られることを考慮して、控訴人との本件特約を合意したことが推認されるのであり、したがって、少なくとも本件においては、被控訴人の主観的意図の面で、経済的利益の供与による患者獲得ということは、さして強くなかったということができる。さらに、控訴人が本件特約を受諾した事由につき、前記2の事実に徴すると、控訴人において事前に被控訴人に告知したとおり、患者紹介を行わないとすると、本件請負代金額が患者紹介料と同額(請負代金の五・四パーセント余)だけ事実上値下げされたこととなるが、それでも、同業者間の受注競争に対する配慮などから、この特約つきの本件請負契約を締結した方が有利と考えて、この特約を受諾したことが推認されるのであり、したがって、控訴人としては、自己の自由意思に基づき、患者の紹介という特約上の債務を履行しない前提で、あえて本件特約を成立させるための調印をしたというべきである。

以上の説示によると、本件特約が公序良俗に違反することを認めるに足りず、他にこれを認めるべき証拠はない。

5  本件当事者双方が本件特約を行うに至った経緯及び各自の目的ないし意図に徴すると、被控訴人において、本件特約に基づき本件請負代金の内金二四〇万円の支払をしないことが信義則に反すると断定することは困難であるというべきである。

三  以上の認定及び判断によると、控訴人の本訴請求は理由がないからこれを棄却すべきである。

よって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柳澤千昭 裁判官 滝口功 市村陽典)

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